(前回からの続き)
ダライ・ラマ14世は、ノーベル平和賞も受賞するなど、
欧米諸国や日本ではまるで非暴力の平和の使者のように扱われているが、
そんなものはただのイメージに過ぎない。
実際のダライ・ラマは権力に固執するウサン臭い生臭坊主で、実質的にCIAの現地エージェントだった。
ダライ・ラマ14世のWikipediaにも
以下の記述あり。
「CIAとの関係
1998年10月2日には、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。援助資金は、志願兵の訓練や対中国戦用のゲリラへの支払に費やされた。
またダライ・ラマ14世への助成金は、スイスや米国での事務所設立や国際的なロビー活動にも充てがわれた。
長年にわたってチベット独立運動を支援したCIAの秘密工作は、中国・ソビエト連邦などの共産圏を弱体化させる目的の一環でもあった。」
もともとチベットは、古くから中国の歴代王朝に支配されてきた地域で、完全な独立国だったことはなかった。
それが1911年の辛亥革命によって清が倒れたことで、
一時的に権力の空白期間が生まれ、ダライ・ラマ14世の先代にあたる13世が、イギリスの力を背景にチベット独立を宣言した。
辛亥革命当時のチベットは農奴制で、農園主が多くの貧しい農民を奴隷として支配しており、
仏教寺院はその寄進で成り立っていた。ダライ・ラマは「生き仏」としてその社会制度の頂点に君臨していた。
しかし中華人民共和国が成立し、1951年に人民解放軍がラサに進駐してチベットの社会主義化を開始したことにより、その地位を失った。
ダライ・ラマ14世は、自身の権力を回復するために、CIAの支援を受けて1956年に武装蜂起を起こし、チベットを独立させようとした(
チベット蜂起)。
これは清王朝が滅びた後、ラスト・エンペラー溥儀が日本の支援で満州国を建国したのによく似ている。
しかし1959年、この蜂起は人民解放軍に鎮圧され、ダライ・ラマ14世はインドに亡命した。
この時、人民解放軍によってチベット人の虐殺や寺院の破壊が行われた。
(ちなみにチベットが最も過酷な迫害を受けたのは、1966年に始まった文化大革命の時だった。チベット民族は「ブルジョア的存在」と規定されていたため、寺院や文化財は徹底的に破壊され、僧侶や旧貴族をはじとする多くのチベット人が虐殺された。)
ダライ・ラマ14世はインドに亡命政府を作り、CIAの支援でゲリラを養成し、中国国内に送り込み続けたが、1974年、米中の雪解けによってゲリラ作戦は中止になった。
それ以来、
亡命政府は宙ぶらりんな立場に置かれているが、ダライ・ラマとチベット独立運動は、今もアメリカをはじめとする欧米諸国が中国に揺さぶりをかける最大の政治的な武器となっている。
「ST CIRCUS」が終わったからチベットへのCIAの工作が終わったか、というとそんなことはない。
チベットと隣接するネパールは、1970年代からCIAの重要な活動拠点になっている。
2000年にはチベットの「生き仏」
カルマパ17世のインド亡命をCIAがバックアップしたとも言われている。カルマパ17世は雪のヒマラヤ山脈を徒歩で越えたということになっているが、実際はCIAのチャーターしたヘリコプターでゆうゆうと亡命したんじゃないの?という話。
ちなみにダライ・ラマとチベット亡命政府のバックアップを続けているのは、CIAを仕切っているロックフェラー財団だ。
ロックフェラーは1960年代にはチベット学研究センターを設立するなど、早くからチベット仏教を支援しており、例の「チベタン・フリーダム・コンサート」の資金も、フロント組織を通じて拠出したと言われている(ソース未確認)。
亡命時、袈裟2枚しか持ち出せなかったというダライラマが亡命政府を築くことができたのも、世界各国に代表部を置いていられるのも、アメリカとロックフェラーの支援があればこそだ。
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