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ダライラマやマスコミの語る、チベット情報は嘘と誤りだらけです。 正しい情報を知ってマスコミの印象操作に騙されないようにしましょう。
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    転載「チベットの元首、そして精神的指導者たるダライラマ法王」

    「チベットの国家元首、そして精神的指導者であるダライ・ラマ法王」
    【2008/10/18】 ダライラマ事務所の欺瞞 「チベットの国家元首、そして精神的指導者であるダライ・ラマ法王」より
    チベットには非常に古い歴史があると伝承されているが、7世紀にソンツェン・ガムポという偉大な王が現れ、アジア有数の大国として広く知られるようになった。
    そしてインドの仏教がチベットに伝来すると、これを精神的な支柱として、チベット人たちは独自の民族文化を開花させた。

    下って17世紀になると、ダライ・ラマ法王をチベット全土の政教両面に渡る最高指導者とする体制が確立され、チベットは平和な宗教国家として、新たな道を歩み始めることになったのである。
    その頃、チベット仏教は、モンゴル、満州、そして北京にまで広まり、アジア大陸の広範な地域で文化交流が盛んになったのである。
    ダライ・ラマ法王は、チベットの国家元首でチベット人の精神的指導者でもある。「ダライ・ラマ」とは、モンゴル語の尊称で「智慧の海」という意味である。
    歴代のダライ・ラマは、慈悲の具現者たる観自在菩薩の化身とされている。観自在菩薩は、悟りの境地を得ながらも自らのために涅槃を求めず、人々を救済するため輪廻世界に生まれ変わるとチベット仏教では信じられている。あらゆるチベット人は、ダライ・ラマ法王と極めて強い絆で結ばれており、とても言葉で表現することは出来ない。
    チベット人にとって、ダライ・ラマとは、祖国の全ての象徴に他ならない。そして強健な人々… これらの要素がダライ・ラマと分かち難く結びついており、敬虔な仏教の信仰とあいまってチベットの人々はダライ・ラマ法王に対し、いつも絶大な尊敬と信頼を寄せている。


    <7世紀にソンツェン・ガムポという偉大な王が現れ、アジア有数の大国として広く知られるようになった。>


     ”アジア有数”という抽象的な表現の是非は大いに疑問がある。



    ソンツェンガンポ王は伝説上の偉人であり、実的根拠に関しては些か疑問符が尽きない。


    日本の「聖徳太子」も実在が疑われているが、ソンツェンカンポ王に関する問題では、通俗的に「吐蕃」の建国者と言われているが、中国の文献以外には、彼の名前は存在しない。
    「吐蕃」王朝は遊牧民族的特長(遊牧民ではない)である特定の部族規模になると大国になるという特徴を北方遊牧民と同じくもっていることもあり、大きな版図を確保し、唐王朝の対等とも言える状況になった。
    しかし、”アジア有数”というならば当時の唐王朝とは比肩するまでもなく、突厥・エフタルなどの北方遊牧民の版図に比べれば面積的にも大きくない。



     同時に、その王朝は封建社会の緩やかな同盟体であり、内訌内乱の歴史が「吐蕃」自身の歴史とも言える。
     アジア有数という贔屓目の根拠はせいぜい、「初めてのチベット高原統一国家」という部分であり、不毛・不作の土地であるチベットの価値は現代よりも低いことは言うまでもない。
     イメージかすれば、アイヌ民族の一部族が昔の蝦夷地全域を支配していた程度の話である。
     同時に、「吐蕃」という王朝名称そのものは中国が知らせたものであり、チベット民族が知らしめたものではない。言語的発展が未熟な当時のチベットが当時の王朝の勢力をどこまで正確に把握し、喧伝できたのか?と言えば、それこそ文献もないのであり、疑う素地が多いのは言うまでもない。
    (補足的意見)
     チンギス・ハンのモンゴル帝国は史上最大の帝国版図を誇ったと言われますが、正確にはチンギス・ハンの時代よりも、オゴダイ・ハンの時代が最大版図であり、統一王朝としてのモンゴルは、フビライ・ハンの時代で終焉を迎えている。
     世俗的にモンゴル帝国の版図というのは、モンゴル族で収めた地域であっても、同一王朝による支配ではない。
     そして、もっとも冷静に受け止めるべきは、その版図の内実である。
     不毛・不作とまでいえないが、厳しいシベリア・中央アジアの自然環境は当時の温暖化した状況でも定住農耕には適していない。
     そして、モンゴル帝国は比較的高緯度の版図であるがために、メルカトル図法の弱点である高緯度地域の面積が広がってしまうことからも、実際のモンゴル帝国の版図の理解を歪めている


    <そしてインドの仏教がチベットに伝来すると、これを精神的な支柱として、チベット人たちは独自の民族文化を開花させた。>
     


    ”インドの仏教がチベットに伝来する”という以前の契機についてダライラマ事務所は”不都合な事実”から明確に逃避している
    ソンツェン・ガンポ王の晩年、唐とネパールから迎えられた王妃がそれぞれ、ラモチェ(小招寺)、トゥルナン(大招寺)の2寺を建立。王室には仏教信仰が残る。
    761年 ティソンデツェン王が仏教を国教化する決意、使を唐やネパールに送る
     チベットは仏教が入り込む前は、ボン教という自然崇拝の国家である。
    そこに為政者側の都合のいい仏教が為政者によってもたらされただけなのである。




     そしてその仏教化にソンツェンカンポが多大な影響をもたらしたのが、ソンツェンカンポの二人の奥方であり、その中には、中国の唐王朝の皇帝の娘がおり、今、チベット仏教の聖地の一つが、この中国皇帝の娘(文成公主)である。
     同時にこれは知られていないが、現代のチベット仏教は、日本の仏教のように土着信仰とのハイブリット化が進んでいる。



     ボン教に関しては資料が少なく学術的研究が進んでいないが、存在していたことを否定する学者はいない。
     そしてこのボン教はチベット仏教の取り込まれるように取り扱われますが、果たしてそれが事実なのでしょうか?
     世界遺産で有名な場所で九寨溝(きゅうさいこう)という場所があります。ここは、チベット仏教の地域と言われますが、ボン教の人が圧倒的多いことは知られていません。



     そもそも、ボン教とチベット仏教の相違点はほとんどありません。相互に影響を受け合い形式的には大差がありませんが、ボン教徒とチベット仏教の巡礼方法が違うことなどで分岐することが可能です。
     そして、九寨溝地域は明らかにボン教が圧倒的多数です。
     これは、単純に言えば、「多数派であるチベット仏教がボン教を飲み込んでしまった」という安易な理解と言えます。
     ヘタな宗教本ではボン教=チベット仏教、よくても、ボン教は”チベット仏教ニンマ派”という認識がほとんどです。
     ボン教と確定するために一番の目安はタルチョと呼ばれる祈祷旗です。



    私が知る限りでは、このタルチュはチベット民族の各地に点在しますし、彼らは中国の文化革命以後、中国当局によって取り締まりを受けたという報告はありません。






     



     チベット仏教そのものがボン教の影響を強く受けていることは学術的見解の否定は行われていません。逆説的に言えば、外来の仏教がボン教と同化し、世俗権力の支援があって発展したのがチベット仏教と言えるでしょう。
    チベット民族にとっての精神的支柱として仏教の存在を否定することはできないでしょう。しかし、ボン教というベースなしにチベット仏教が存在できたとは言い切れないでしょう。



     ダライラマ事務所は”不都合な事実”として、
    チベットの仏教導入の契機
    ボン教とチベット民族の関係
    を無視しようとしているようですが、これは多様性ある社会を想定した擬似的政府としては些か野蛮といわざるを得ないでしょう。





     日本人の宗教観にアイヌ的な自然崇拝のエッセンスも実態としてあるにも関わらず、それを無視している日本人にも同じことが言えるかもしれません。 
     文化とはハイブリット化し、自然淘汰で適応性によって残存するものでありましょう。

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